なんでもない日のお墓参り。自死で逝ってしまった兄ちゃんに会いたくなった

2024年4月13日。今日は急ぎの予定もなく。朝起きてから「今日は何しようかな」と考えながらいつもの掃除をしていました。

あ、お墓参りに行きたい。

なんの前触れもなく思い立って、車で高速使って1時間半のところにある地元のお墓へビューン。

命日が近いわけでもなく、お盆なわけもなく。

ときどき思い立っては年に数回、こうしてお墓参りに来ています。

この日記はほとんど初めて、兄に関して穏やかな気持ちになれたことを綴りました。

目次

兄に会いたい気持ちが急に出てきた

2011年に自死で亡くなった私の兄。こちらは当時のことを書いた記事です。

特に兄とは大人になってからは仲が良かったわけではありません。だからといって仲が悪いわけでもない。離れて暮らしていたのもあって、そんなに関わることがなかったです。兄弟ってそんなものですかね。

小学生のころはよく一緒にゲームをしていました。将棋とかオセロも兄とよくしていました。

兄は4歳上だし、頭も良かったので私は毎度ボロ負け・・(笑)将棋なんて、私のコマを角4つ最初から置かせてもらうというハンデをつけても負けてました。

でも、「負けて悔しい」とは思ってませんでした。兄と遊ぶことが楽しかったんです。

改めて「兄に会いたい」と強く思うことは、今までそんなにたくさんはありませんでした。

昔から実家は病んでいたし、小さいころから兄も私も苦しんだ思い出が多いから、「兄に会いたい」よりも先に「親への怒り」が先に出てきていたんです。

でも今日は久しぶりに「兄ちゃんに会いたいなぁ」って、思いが湧いてきました。

桜はまだ咲いているよ

お墓からの景色が好きなんです。お墓が少し小高い丘の上にあって、見下ろすと池がある。池の周りは歩道になっていて、桜の木があります。

その桜の木、並木道みたいにワ~ッと連なっていたんですが、ずいぶん減ってしまいました。なんかすごく寂しい。

でも、何本かは残っていて、まだまだ元気に咲いていました。

ちょっと葉桜に。

兄を思うときにこんなに穏やかな気持ちになるのは、ほとんど初めてかもしれない。

会いたいなぁ。

私、兄ちゃんが好きだったんだなぁ。

今ごろ生きてたら、たまに一緒にビール飲んだり焼き鳥食べたりしてたのかなぁ。

こんなに穏やかだと、本当にいなくなったのかどこかで生きてるのか分からなくなってきた。

この先、この穏やかな気持ちが変わって、また悲しんだり苦しんだりと繰り返すかもしれない。

でも今はいっか。先のことは。

桜はまだ咲いているし。

父に会っても穏やかでいられた

お墓から実家まではすぐ近く。車で5分ほどのところです。

母は今、精神病院に入院中。4年ほど前から入退院を繰り返しています。父はアルコール依存症を抱えていて、午前中からアルコールを飲んでいます。なので実家への足は重い・・。

「実家は休めるところ」と感じたことはありません。当たり前のように「年末年始は帰省するの?」と聞かれるといつも困ってしまってました。

お墓参りだけして、実家には寄らずに自分の家に帰ることもよくあります。

今日はお墓参りしたのはまだ朝の10時ごろで、父の酔いもまだまわっていないだろうからと、ちょっと実家に寄ってみました。

父もいつ倒れるか分からない状態なので、私なりに気にはしてるんです。

いつも酔っぱらって自分の苦労話を延々と語ったり、私や母に皮肉や暴言を吐いたり、その場にいない姉(私の姉)の悪口を言う父に、どうしてもモヤモヤすることが多かった私。今日も延々と自分のことを語っていましたが、私は珍しく穏やかでいられました。

父のことが少し小さく見えた気がしました。

ほとんど初めて兄を思って泣いたかもしれない

実家の仏壇でまた兄にお線香をあげて、少しだけ兄と会話ができました。まぁ実際はひとりごとなんですけどね。

「また会いたいなぁ」

「兄ちゃんの好きだったチーズケーキ、作って待ってるよ」

こんなことをつぶやいて、自然と涙が出てきました。

今まで兄を思って、素直に泣いたことは覚えている限りないんです。

兄が亡くなって13年。ここにきてやっと兄を思って、まっすぐ兄に対しての気持ちが出てきた。

今までは「なぜ自死したのか」とか「親のこと」とかとは切り離せなかった。

兄に対しての素直な気持ちが出てきたら、自然と笑顔になれた。本当にこんな感覚は初めてで、なんだか嬉しくなりました。

春の陽気もプラスして、なんだかリラックス~。

よしっチーズケーキ作ろっ。

最後に

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

「大切な人を自死で亡くされた方」にとって「時間が傷を癒す」「いつかそれを乗り越えられる」とかいうような言葉はあまり当てはまりません。(人によると思いますが)

「なんとなくの気持ちの置き場」を見つけられる人もいれば、何十年経っても苦しみの渦中にいる方もいます。

苦しみから解放されたような日もあれば、また亡くなった当時のことを鮮明に思い出して苦しむ日もあります。

私もなぜ今日穏やかな気持ちになれたのかは分かりません。でもそこは深掘らずに、そのままにしておこうと思います。

なんにせよ私にとってその気持ちは「大切なもの」ということに違いありません。

自死遺族の方が、ほんの少しでも穏やかに過ごせる日が増えますように。

私はいつもそう願っています。父や母に対しても、そんな風に願います。

読んでいただき、ありがとうございました。

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