自死/自殺は悪いことなの?本人の勝手じゃないの?自死遺族の立場から

こんにちは。

自死自殺悪いことなのか?」「本人の勝手・個人の自由だよね」という意見もあれば、

「絶対にしてはいけないこと」「周りに迷惑がかかるからダメ」などと色んな意見がありますよね。

私は兄を自死で亡くした自死遺族の立場です。私の意見は兄が亡くなる前と、亡くなった後で考え方が変わりました。

ここで結論を出したり誰かと論争をするという目的はありません。なぜかというと、人それぞれの意見や立場、価値観の違いがあるからです。

今回はあくまで私の意見をまとめてみました。何か参考になれば幸いです。

目次

悪いとするなら「自死」そのものより「自死に至るまで」

「自ら命を絶つ」そのものに良い悪いを軸にした答え、私には出すことができません。

ひとつ思うのは、「自死」という行動そのものよりも「死にたい」と思う過程の中に色々な問題があるんだと思います。

そしてこのテーマを考えるとき「今、自分がどういう立場なのか」「今、どういう人生を送っているのか」で答えはまったく変わるのではないかなと私は思いました。

本人にとっての自死

私自身、死にたいと思ったことは過去に何度もあります。
10代後半~20代後半ごろまではずっと死にたいと思っていました。

車を運転しているとき、「ちょっとスピード上げてハンドル回せばあそこにぶつかって死ねるかな」とか「あのビルの高さから落ちてしまえば一発かな」とか身近なところで死ねる場所や方法を常に考えていました。

私は「死にたい」と思うほどの苦しさを分かっているつもりなので、兄が死を選んだことを否定できないでいます。だからといって肯定もしていません。

こちらは私の兄が亡くなった時の記事です。

自死はその人の勝手?

私は10代後半から20代前半ごろまでは「自死は悪いことじゃない。その人の勝手。その人の意思なら尊重されるべき」などと思っていました。

そのときは私自身も常に「死にたい」と思っていたし、何を選ぼうが個人の勝手だと思っていました。当時は私自身が人生に対して、かなり投げやりな考えだったことがあるかもしれません。

「自死したら良い」とは言えませんが、「死ななきゃいけない」状況はなく他にも手があるということですね。

こういった言葉がどこまで本人に届くかは分かりません。

「自死をした人の周りの人の関係が悪くなる」と聞くことがあります。

しかし死にたいと思う人からすれば知ったこっちゃないことかもしれません。
死にたいほど辛くて苦しい時は周りのことは考えられませんよね。

死にたいと思う環境が問題

「何が悪いか」で考えるなら「死にたい」と思うほどの環境・境遇・そうならざるを得なかった考え方だと私は思います。

繰り返しになりますが「自死」自体よりも「自死」にいたるまでに問題があると思います。

・「自死」が起こって始まる問題ではない
・周りは「自死」があって初めて問題視する

「なんで相談してくれなかったんだろう」

「死ぬほどのことなのか?」

という声を見聞きすることがあります。ここで言いたいのは本人にしたら相談できたらとっくにしているし、本人にとっては死ぬほど辛いことを抱えているというのは想像できるでしょう。

ただ、それは本人が普段明るく振舞っていたら、周りの人は気づくのは難しいとも思います。

そして、周りにとって「自死」が起こって初めて本人のことに気づいたり考えたりすることが多いです。もちろん関係性によって大小あるでしょう。

反対に、本人にとって「自死」は苦しみ抜いた果てであると私は考えます。(その選択が良い悪いと言っているわけではありません。)

「本人だけの問題」ではなく教育環境・社会環境の色んなことが絡んでいると私も思っています。

本当に人によって背景がそれぞれですよね。

自死遺族になってから変わった考え

私は簡単に「個人の勝手・個人の自由」と言えなくなりました。それは私が自死遺族になって考えや気持ちが変わったから。

大きな理由のひとつは、「自死は周りの人に多大な影響を与えるから」です。

ショックがあまりにも大きすぎるのは、先述した「本人と周り」のギャップも一つの要因なのかなと思っています。

特に近い関係の遺族には「なんで?どうして?」という答えの出ない疑問が一生つきまとう苦しみを負ってしまいます。一緒に暮らして一見普通に生活していればなおのこと。

補足:家族をもたず天涯孤独なら自死遺族にならないで済むのか?と思う人もいるかもしれません。しかし家族・親戚がいなくても友人や職場の人や近所の人、住んでいる家やアパートの関係の人など、何かしら関わっている人に影響はあると思います。

永遠に続くタラレバ

家族や大切な人を亡くした自死遺族の方は

  • 「死にたい」と思う気持ちを気づくことができれば止められたのか
  • どうしたら助けてあげられたのか
  • もしあの時ああだったら

という様な「永遠に続くタラレバ」を抱え続けることになってしまいます。もう本人の思いや考えを聞けないから。

〇年経ったら忘れる、楽になるといういわゆる「時薬」は無いと私は感じています。

空いた穴は空いたまま埋めることはできないというイメージ。

「死にたい」という人に「ダメだよ」と諭さない

こうして考えれば考えるほど自死は一言で「良い悪い」と私には言えません。

もしも今、目の前で「死にたい」と言う人がいたら「いやいや自死はよくないよ」とは私は言えないでしょう。なぜかというと、その「死にたい」という気持ちを否定することになるから。

自死をおすすめするわけではありませんよ。

それはまた別問題

「死にたい」と言われるとびっくりして「いやいや待って待って!」となり、「なんとか止めなければ!」と思って諭そうとする人がけっこういると思います。もちろんそれを否定したいわけではありません。

ただ「何かを言ってあげること」よりも「死にたいほどの苦しさ」をひたすら聞いてあげることの方が大事だと私は思います。あくまで私の意見ですので、ご参考までに。

人は思いたいことを思うし言いたいことを言う

人はその人特有の認知のメガネをかけているといいます。

どんなに「その人のため」と思って言ったアドバイスでも「言った人の価値観」でしかありません。

「起こっている事象(例えばコップに半分水が残っているという事象)」自体によって決まるのではなく、私たちがそれを「どう解釈しているか」「どう受け止めるか」によって決まる

引用 認知バイアスについて

「死んだらだめだよ」「親が悲しむよ」という意見はそれをアドバイスする本人がそう思っている、と考えます。あくまでその人の意見や価値観だと思うんですね。

「死にたい」と言ってきた人とその考えが合えば良いですが、合わない場合はアドバイスには意味がないどころか「もうこの人には話さない」という気持ちになってしまうこともあります。

特にメンタルが不調のときってアドバイスがキツく感じることがあると思うんです。

なので、意見を言うより話を聞くことのほうが何倍も大事だと個人的には思います。

あきらめないでほしい

なんだかんだ語ってきました。結局は「あきらめないでほしい」。簡単に言えることではありませんが、それしかないんですよ。

人により事情も環境も考え方も違うし「死んで楽になりたい」と思うほど現実がどうしようもなくなること、それは実際にある。

それでも、どんな困難でも、「あきらめないでほしい」と私は願ってしまいます。

こちらの動画では「自死は良いことでも悪いことでもない。ただ残念なことです。」「生きていてほしい」と語られています。

なかなか答えは出せるものではないし、無理に出そうとしなくていいのかもしれませんね。

まとめ

自死は悪いことなのかについて、自死遺族の立場から私の考えをお伝えしました。

自死遺族ではありつつも「死にたい」と思っていた私には、なかなか「こう」とは言い切れない難しい問題です。

ただ少なくとももう誰にも自死してほしくないし、結局は「相談してほしい」とか「嫌なことから逃げてほしい」とかいうことしか言えない自分の無力さも感じます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (4件)

  • 大変な思いをされたのですね。私事で恐縮ですが、知り合いで自死した方がおります。確かに数年間は何でなのかという気持ちに苛まれました。その一方で、治療困難な精神疾患や身体の病気及び薬の副作用で長年苦しんだ挙げ句の自死など、周囲はもとより本人すらどうにもできないパターンがこの国は多い事を知った時、当事者にがんばれとか気楽にとか晴れない明日はないなどとは言えないと我が身に返って考えるようになりました。無論、大事な人に去られるのはいやです。でも、なおる方法がなく苦しんだりするのも見てはいられません。今は、他界した仲間たちが安らかされていると思い、他界した行為に良し悪しを付けなくなりました。
     その意味でも、自死がタブーならば場合によっては本人の確認による安楽死や尊厳死も認めてもそろそろ良いのではと考えます。
     ただ、自死という文字が辞書からなくなる世の中を構築するのが一番大事で、家族(特に親)、食生活を含む生活環境、学校、職場など、様々なものを見直す方向でいってもらいたいというのが本心です。ねばならない、比較、完璧主義、白黒の考えでなく、自他共に愛、尊敬、慈悲など、お互い温もりで接せばもっといい世界になるのではないかと願うこの頃です。

    • いち様
      コメントありがとうございます。
      良し悪しを付けなくなった、白黒の考えではなく、お互い温もりで接すれば・・・とても共感します。私は、考え続けないためにも一つの答えや、今のところまぁまぁ納得できるくらいの置きどころも時には必要かな(また変わるかもしれないけど)、でも正解はないから答えを出さずにちょっと置いておく、みたいな100でも0でもない考え方をしたいと思うようになりました。自死という文字が辞書からなくなる世の中、ですね。まずは自分から作っていきたいです。

  • 心温まる返信いただきありがとうございます。ms様みたいな優しい方々が多くいらっしゃればこの世は安泰です。改めて感謝申し上げます。

    • いち様
      こちらの方こそ、コメントいただきありがとうございます。
      記事を通してご縁があることが嬉しいです。

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