思い出を悲しいものにしたくない/自死で亡くなった4歳上の兄との思い出

こんにちは。

私の兄は2011年の夏に自死で亡くなっています。現在「自死遺族の分かち合いの会」を定期的に開いています。

今回は4つ上のとの思い出をまとめてみました。

子どもに頃のことは、出来事はたくさんあるはずですが、覚えていることはほんの一部です。

亡くなった人の思い出は増えることは無いので、覚えている思い出だけは忘れないようにしたいと思います。

目次

自死で亡くなった兄との思い出は小学生時代がメイン

小学生の頃は、兄はよく私をかまってくれていました。

半分はからかっていたと思いますが・・・(笑)

兄は4歳年上だったので、年齢の差から私はあまり遊び相手にはならなかったでしょうね。

私から見た兄は勉強ができて頭が良く、私をからかいつつも色々と教えてくれるお兄ちゃんだったなぁ、という印象です。

兄が亡くなった時のことはこちら

小学生時代はゲームばかり

私と兄はゲームばかりしていました。

最初に買ってもらったファミコン。その次にスーパーファミコン。私は小学生低学年だった記憶があります。

なつかしぃぃぃぃぃぃ!!!懐かしくて泣きそうになる。

コントローラーに息を吹きかけて風を送るシステムがあったな・・・(笑)「仮面ライダー」で風車を息を吹きかけて回すのが好きだったよ。

スーパーファミコンの箱付き!!!兄は几帳面だったので、毎回遊び終わる度に本体を箱に戻していたな。なので箱が懐かしい。

こちらは箱なしで本体のみ。うわぁ・・・カセットの下?の部分を「フッ!!」っと息吹いて本体にセットしてたなぁ。あれは意味があったのだろうか。

当時よくプレイしていたソフトは「マリオシリーズ」「ぷよぷよ」「マリオカート」「ドンキーコング」「ファイナルファンタジー」「ドラゴンクエスト」あたりです。

ぷよぷよやマリオカートは、兄がとても強かったのでなかなか勝てませんでした。

そのおかげで、私は同年齢の子には負けないくらい、かなり鍛えられたと思います。

性格が表れる遊び方

「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」などのRPGは、よく兄がプレイしている所を見ていました。

几帳面な性格だった兄は、それがゲームのやり方に現れていました。

兄はゲーム内の宝箱や隠しアイテムなど全て回収し、装備も完璧に整え、レベル上げにもかなり時間をかけ、万全に準備をしてからボス戦に挑んでいました。

私は早くストーリーの先を見たかったので、過程に時間をかける兄にやきもきしていました。私は「早く進んで!!」と兄にせがんでは「うるさい!」と兄に怒られていました。

そんなこともあってか、私は「自分がプレイするときは兄とは違うやり方でやってやる」という謎の敵対心をもったんです。

登場人物のジョブが選べる「FF5」では「全員戦士」にしてボスで全滅するという無謀なチャレンジをしたこともあります。

それを兄に見られたときは「絶対バカにされる!!」と私は思いました。しかしそのときに兄は私をバカにすることなく、「何か俺は型にハマってるんだなぁ」とつぶやいたことを覚えています。

私の描いた漫画をよくからかった兄

私の小学生の頃の将来の夢は「漫画家になること」でした。そのころはノートにひたすら漫画を描いていた時期がありました。(クオリティはともかく)

家族には絶対に見られたくないものです。恥ずかしいから。友達には見せていましたね。

兄はわざと私の漫画ノートを奪って、皆が見るリビングのテーブルに開いたまま投げたこともありました。私が嫌がると知った上で、です。

読まれると恥ずかしいセリフも声に出して読まれました・・・屈辱です(笑)恋愛ものを描いていたときだったので本当にクサイセリフを読まれました。あーー恥ずかしい。

4歳離れていると、特に小学生くらいまでは色んな能力に差がありますよね。

私のやることなすことを兄はからかっていました。とはいえ、特に私はものすごく腹が立つという様な気持ちはありません。

「もう~!!やめてよ~!!」とブーブー言うくらいです。

うまく手加減してくれていたんでしょうね。

夏休みの自由研究を代わりに終わらせてくれた

私は夏休みの宿題を、最後の数日間で泣きながらやってました。毎年同じ光景です。

特に苦手だったのが自由研究です。アイデアが全く浮かびませんし、特に親が手伝ってくれたりヒントをくれた覚えもありません。(勉強は全般的に苦手だった私。)

工作も苦手でした。何とか作るものを決めて空き缶で貯金箱を作りかけたり、組み立てる家の模型のキットを作りかけたまま8月31日を毎年迎えます。

他の宿題にも追われていた私を見かねたのか、気づくと私が作りかけていた工作を完成させてくれていました。

それが良いことか良くないことかは微妙ですが、よく覚えています。

兄と姉は夏休みの宿題を7月中に終わらせていました。8月は二人とも「あ~暇~」と言っていたのを覚えています。どうしてそんなことが出来るのか当時の私は信じられませんでした(笑)

どこでどうなったのか、今の私は「やることは先に終わらせて、あとでゆっくりする」ようになりました。小学生のグータラな私とは全然違います。どう成長するか分からないもんですね。

発想が自由で面白かった兄と姉

私はリカちゃん人形を1体持っていました。ある日母がリカちゃんのカバン(ショルダーバッグ)を作ってくれました。

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リカちゃんも懐かしいなぁ。

それがある日突然、リカちゃんのカバンがパンパンに膨れていたんです。「???」となった私は中身を見てみました。すると、なんとリカちゃんサイズの1万円札が大量に入っていたんです。

リカちゃんは一晩で億万長者になっていたんですよ。しかも、万札を裸でカバンに入れていたのでとてもシュールな光景です。うちのリカちゃんは何者だったんだろう。

その万札を作ったのは兄と姉しかいません(笑)

紙をリカちゃんのお札サイズに切る→全てに10000と書くという面倒くさそうな作業ですが、細かい所までキッチリしていた兄と姉らしい遊びでしたね。

一般的には長子(兄弟で一番上の子)より、末子の方が自由な発想をすると言われていますが、私からすると末子の私より兄や姉の方がオリジナルの発想をしていた印象です。

兄はいつも何か新しいことをしていた記憶があります。

一般的な生まれ順の性格はこちらをご参考にどうぞアドラー心理学 兄弟関係の影響について

兄が高校生になったあたりから話さなくなった

兄が高校生のころぐらいから、私と兄はほとんど話をしなくなりました。姉もですね。3人ともそれぞれ話さなくなりました。

私は兄や姉が嫌いとか、喧嘩をしたわけもありません。なんとなく話さなくなって、家の中で出くわすと「なんか気まずい」という状態になっていました。

思春期はそんなものなんでしょうか?色々な面でうちは「不自然な家」でした。

うちは兄の1つ下に姉、姉の3つ下に私の3人兄弟。

うちの場合は兄弟それぞれが仲が悪いわけではなく、親との問題が大きいかなと思います。

父はアルコール依存症、母はうつを抱えていました。

親については後々記事にしていく予定です。

家にいる時はずっと勉強をしていた兄

兄と姉は頭が良く、私はお勉強が出来ない子どもでした。

兄は中学生、高校生の時は家でずっと勉強していた印象が強いですね。

ご飯を食べるときは会っていたと思うんですが、食卓がどういう雰囲気だったかとか、あいさつはしていたのかなどは覚えていません。

「よく分からない気まずさ」があったのはよく覚えています。

兄がどこの大学を受験するかとか、そういう話を兄とは全くしたことがありません。

母が私に癇癪を起こしたときの兄の対応

母は私たちが小さい頃から、怒ると手が付けられなくなるくらいの癇癪を時々起こしていました。

ある日、私が小学生低学年のとき、私が母を怒らせるようなことを言ったんでしょうね。母がキレて私のランドセルや荷物などをものすごい勢いで窓から放り投げながら「出ていけ!!」と言われたことがあります。

これはよく覚えています。ちょっとトラウマ的に覚えていますね。

普段、母がキレると私は黙って別室に行って避難していました。この時もスーっと母の雷に紛れて、消えるように別室に行きました。

そのときに母の近くにいた兄が弱々しく「もうやめとき!」と言ったのを覚えています。

それでも母は止まりませんが。

母にも父にも反抗したことがない(と思う)兄が、母に唯一対抗していた場面だったのでびっくりしました。少し嬉しい気持ちもありましたね。

怒りのおさまらない母は別室にいた私を見つけて、改めて「外に出ていけ」と言いました。

当時は確か11月ぐらいの夕方で、けっこう寒かったです。なのに上着も着ずに放り出され、行く当てもないので玄関前にうずくまっていた私。

皆、母が怖かったので誰も私の所へは来ませんでしたが、あのとき兄はどう思っていたんだろうと考えることがあります。

兄は兄で苦しんでいたのかな。

今となってはもう聞けませんね。

楽しい思い出を悲しい思い出にしたくない

亡くなったからといって、その人との思い出までは悲しいものにはしたくない。そんな思いが私にはあります。

身近な人が自死で亡くなると「自死をした理由」を考えてしまいがちです。(無理もありません。)

色々な記憶を辿っていく中で「何が苦しかったんだろう」「何が生きづらくさせていたんだろう」と暗く沈む様な事ばかりを思い出します。その材料を探すんですよね。

なので、楽しい思い出はしっかり意識しないと「楽しい思い出」として蘇りません。

楽しい思い出は楽しい思い出のままとっておきたい。

悲しい方向へ行かないよう、意識の訓練ですね。

増えることのない思い出は、せめて忘れないようにしたいです。

人の記憶は現在の考え方によって変わる

ちょっと話が変わります。

記憶には「短期記憶」と「長期記憶」があります。「エピソード記憶」というものもあります。

思い出は基本的にエピソード記憶です。思い出は、覚えようと思って覚えているわけではなく、繰り返し口に出したわけでもなく、ただ印象深いから記憶に残っています。

【記憶の種類】長期記憶・短期記憶・エピソード記憶・意味記憶とは?【認知心理学】

同じ出来事の思い出でも、印象が変わる「長期記憶」。

人間は、起こった出来事に自分なりの解釈を加えて記憶すると言われています。

特に、10歳ぐらいまでの記憶は、現在の「考え方のクセ」によって記憶の印象が変わります。

反対に言うと「今の考え方のクセ」を知るのには10歳ぐらいまでの記憶を思い出すと分かることがあります。

その時は「一つのエピソードになっている」ことが条件で、カウンセリングでも使われる分析方法の1つです。

どっちつかずになってちょっと楽になる

今の私は「兄を忘れたい」とも思っていないし「悲しんでいる」ことも少ないです。

「あまりこだわっていない」がしっくりくる気がします。

あえて意味づけをせず「楽しいことはそのまま楽しく」思い出すことを、今は出来ています。

どうしても切ないような気持ちもついてきますが・・。

どっちつかずになってみることで、ほんの少し気持ちが楽になったような気がしています。

以前は無理やり「悲しみを感じない様に」してしまっていました。本当の気持ちにフタをしていいたんです。無意識に。

それよりも悲しいことは悲しい、楽しかったことは楽しかったと、そのままを感じるほうがずっといいですよね。

最近になってようやくそれができてきたなと感じます。

まとめ

今回は、自死で亡くなった兄との、よく覚えている思い出を書いてみました。

「きっかけ」があれば、まだまだ思い出は引き出される気がします。

私は兄弟を自死で亡くされた方とはあまり話したことがないので、話してみたいなぁと最近は思っています。

自死は悲しいことなので、すべての思い出が悲しみに染まってしまいがちです。

それは無理もありません。

楽しい思い出として思い出すことは、なかなか出来ることではありません。時間も必要ですね。

ただ、亡くなった方との思い出は増えることはないので、せめて忘れずにいたいと今は思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • こんにちは、はじめまして。
    先日サイトを訪れた時は
    遺族が持ついろいろな感情・考えについて書かれていた記事があったと思うのですが
    現在はその記事が見当たらないようで…

    一遺族である私の気持ちを言葉にしてくれているようですごくひかれて
    もう一度拝見したいのです。
    再度UPしていただくか、メールアドレスに送っていただくことは可能でしょうか?

    6月5日に訪れました。
    記事タイトルはわかりません、ごめんなさい。
    何卒よろしくお願いいたします。

    • やすみ様
      こんにちは。はじめまして。
      記事を読んでいただき、そしてコメントもしていただきありがとうございます。

      記事についてですが、こちらで消去したり非公開にした記事は今のところございません。
      こちらの記事かな?と思うのですが・・・分かち合いに行きたいけど行けない理由についてまとめたものです→https://kokoronoblog.com/wakachiainokai/
      もし違うようであれば、大変お手数ですが、もう一度探していただくことは可能ですか?

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