今日は3月11日。東日本大震災が起こった日。
私は地元の広島県に住んでいて、そのときの職場でテレビ中継を見ていました。ぼう然と見ていて、なにも言葉が出ませんでした。「これは、いま、本当に日本で起こってるの?」と信じられないくらいでした。
たくさんのものを失った悲しみ。これからどうしたらいいのかという不安。簡単には想像もできません。
そんな中、「私に何ができるんだろう」と自分を無力に感じました。
兄という大きな存在を亡くす
2011年8月、私の兄は当時28歳で亡くなりました。遠く縁もゆかりもない地で、兄は自死をしました。
こちらはそのときの記事です。
兄は遺書を残していました。その一部に「東日本大震災」という文字がありました。
兄は震災のとき、東京に住んでいました。「これから日本はどうなっていくんだろう」とも書いてありました。
躁鬱を患っていた兄には特にこの出来事で、これからどうなっていくのかという不安が強大になったのかな、と私は解釈してます。
大切なものを失うこと
私は兄という、私にとって大きな存在を失いました。兄とは離れて暮らしていたし、会う頻度も低い。連絡もほとんどとらない。それでも兄弟を失うことは、大きな喪失でした。
兄を失ったことで空いた「大きな穴」は13年経った今でも、ぽっかりと空いたままです。
私の中の「その人専用の穴」は他のもので埋めることはできません。
東日本大震災を経験された方にとっては、失ったのは大切な人だけでなく、家や車、街。日常の全てを失ったということ。本当に計り知れないし、言葉もありません。
「大切なものを失う」って、本当にがっくりと・・・生きる力を削られる感じ。
悲しい。ただただ悲しいです。
心を静かにしてただ祈る
「今日」という日はただただ祈ること。目をつむって、1分でも5分でもいい。
無念の気持ちをただただ感じること。これが私にできることです。
そして、復興しようと励む方たち、その周りの方たち、被災地で生きる方たちには頭が上がりません。
不謹慎だったら申し訳ありませんが、私はその姿を尊敬しています。
これからを生きる方たちが元気でいられるように、ここ岡山で願っています。
兄に対しては祈れるかな
自死で亡くなった兄に対しては、「ただ祈ること」がなかなかできませんでした。
兄のことを思うときは複雑な気持ちになったり、小さいころの家族関係で辛かったことを思い出してしまうから。
複雑な気持ちというのも、なんだかよく分からないんです。悲しいのか寂しいのか、苦しいのか辛いのか、はたまた怒りなのか・・・。
13年間ずっと、悲しめてもいないし、寂しいとも感じられてません。
ただぽっかりと大きな穴が開いていて、どうしようもできない感じ。モヤモヤとか、胸になにかずっとつまってる感じもある。
見ようとしていなかったものに向き合う
今、その感じてこなかった「本当の気持ち」をしっかりと感じてあげたいなと思うようになりました。
今思うと、兄が亡くなったころはあまり兄のことを考えてなかったなと思います。そして自分のことも考えてなかった。
ボロボロになった母のことばかり見ていました。支えなければと思って、自分のことは後回しにしていたんです。
これからは、自分の気持ちと兄のことを少しずつでも感じ取っていきたいなと思います。
兄のこと、自分の気持ちをちゃんと思い出してあげたい。13年経った今、温かい火で溶かしていこう。
それが私の祈りです。
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