自死/自殺で亡くなった大切な人。
もう話すことはできないと頭では分かっている。でも、理屈じゃない。ただ会いたい。会って話したい。
私の気持ちも含めながら、自死遺族の方の気持ちを私の見聞きした範囲で書きました。共感することもあれば疑問に思われることもあるでしょう。
何か役に立てたり、読む方の気持ちに寄りそえることができたら嬉しいです。
ストレートに表現しています。お辛くなったら無理に読まないようお願いします。
どうして死を選んだのか聞きたい
何も言わずに去ってしまったあの人。
なぜこんなことに。どうしてそうなったの。いつから考えていたの?元気だったのに。元気に見えたのに。
遺された人にとって、自死は事故や病気とは違うところがあります。それは「なぜ」がずっとずっとつきまとうこと。
(事故や病気で大切な人を亡くされたことと、悲しみを比べているわけでは決してありません。)
自死をするに至った気持ちや理由は本人にしか分かりません。本人が話してくれないことには、私たちは想像するしかありません。
答えのない問題を延々と解いていくようなものです。
こちらは「亡くなった人と話したい・・・をかなえる本」を紹介している記事です。亡くなった人のメッセージを受けとる方法などが書かれています。自死のことも一部書かれているというレビューを見て、私は思わず購入しました。
一番の理由は何か
やっぱり「どうして」「なぜ」が一番聞きたい。
理由はきっと一つではないんでしょうね。ただ、中でも一番嫌だったことは何かが知りたい。
あの事かな、この事かな。あの人かな、この人かな。
亡くなった本人と普段よく話をしていた人は、何が嫌だったのか大体の想像がつくかもしれません。
一方で、一緒に暮らしていたけど話はあまりしていなかった。本人が話したがらなかった。もしくは、ずっと離れた所に住んでいた。交友関係も何も知らない。
そんな普段の生活を知らない人にとっては、想像をする手がかりさえありません。
死ななくてはいけないほどだったのか
何がそんなにも追い詰めたのか。
周りから見ると、本人の悩みは死ぬほどではなかったかもしれない。(決めつけるわけではありません。本人にとってはどう見えるか、他の人には分かりません。)
私の兄の遺書には「僕は迷惑をかけてばっかり」と書いてありました。大人しい人だった兄。兄よりも人に迷惑をかけている奴なんか山ほどいる。そしてそいつらは迷惑をかけているのにも関わらず平然と生きている。
兄の遺書を見て、私は誰に向けているのか分からない怒りがこみ上がってきたのを覚えています。
人に自分の気持ちを100%理解してもらえないように、本人の気持ちも理解しがたいものなのかもしれません。
特に、大人から見ると10代ぐらいのなどのかなり若い世代の方が自死で亡くなると、「大した悩みではない」とか「みんな乗り越えてきた」「大人になれば人間関係は選べる」とか若い世代を経験しているからこそ「乗り越えられる苦しみ」と考える人は多いですよね。
個人的な意見ですが、「生きていく大変さ」ってけっこう若い人のほうが大変だと私は考えてます。
子どもは自由度が少ない分、守られています。でも、守られていなかったり、悩みを相談できなかったり悩みと判断できない場合、かなり苦しいと私は思います。
なので特に若い世代には「死ななくてはいけないほどだったのか」と私は言うことはできません。「それほど辛かったんだ」としか思えません。
こちらが悲しむことを想像しなかったのか
こちらの顔が浮かばなかったのか。それとも少しでも浮かんだのか。
あなたがいなくなった世界を、少しでも想像しなかったのか。想像をする余裕もなかったのか。
本人に対して怒りや落胆などの感情が湧いた時、こんなことを問いかけたくなる人もいると思います。
私の場合は、兄は私ではなく「母の顔が浮かばなかったのか?」と聞いてみたくなる時があります。
しかしながら聞いてみたところで、「浮かばなかった」と言われたら悲しいので、実際には私は聞かないかもしれません。
本人にとっては人のことを考えるどころではない状態だったんだと、頭では分かっても聞いてみたくなることの一つですね。
相談できなかったのか
相談する余裕がなかったのか、相談したところで変わらないとあきらめていたのか。
それともこちらがそんなに頼りなかったのか。
家族や友人に相談できないなら、行政機関やカウンセリングなどに相談できなかったのか。
ほんの少しでも、本人の心に何かが入るすきまがあれば。
未来は少し違っていたかもしれない・・・。
このブログを書いていて、私は今とても悲しくてやるせない気持ちになっています。
どうしたら助けることができたのか
きっと何百回とする問いかけの一つだと思います。
「あの時ああしていれば」
「あの時もっと話を聞いていれば」
考えてもどうしようもないと分かっていながらも、繰り返し頭に浮かんでしまう。
そしてこういう思いは、吐き出したいと思ってもなかなか身近な人には話しづらいです。
いつから考えていたのか
いつから「自死」に向かっていたのか。ずっと前から考えていたのか。
それとも突発的だったのか。我を失っていたんじゃないか。
こんなことも繰り返し頭をよぎってしまう一つだと思います。
時々抗いながらも、長い間そこに向かっていたのなら、本人の苦しみは計り知れないです。
私の場合、兄は未遂をしたことが1度あるので、亡くなる何年も前からずっと考えていたのかなと思うことがあります。
もしかすると学生のころから考えていたのかもしれない。そのずっと前かもしれない、と。
許せない人は誰かを聞きたい
本人の思い込みではなく、実際に特定の誰かに追い詰められ、憎しみを持って自死を選んだ。それを証明できる第三者もいる。
遺書には抽象的に書かれてあるため大体は絞れるが、確かではないため下手に動けない場合もある。
性格的に昔から、言いたいことを面と向かって言えない人だった。特定の人に対して怒りをため込んでいる様子だった。
普段生活している姿や連絡を取り合う中で、なんとなく辛そうにしていた。「仕事が辛い」と言っていた。
憶測ができる状況だった方は、許せない人は誰なのかを聞きたいと思う方もいるでしょう。
本人の代わりに自分が仕返しをしたい
もし、本人を追い詰めた人が誰なのかが分かったら、仕返しをしてやりたいと強く思う方もいます。
理不尽なパワハラ・モラハラ・いじめ・嫌がらせなどを本人が受けていたのだとしたら、仕返しをしたいと思うのも全く不思議ではありません。
だって、本人が誰にも言えずに去ってしまうほど耐えがたいことだったのだから。
同じ思い、またそれ以上の苦しみを味わってもらいたいと腹の底から願うでしょう。
実際に仕返しをすることをおすすめしているわけではありません。
仕返ししたいという気持ちが出てきて当然です。「仕返ししたいと思う自分はよくないのか」と自分を責めることはありませんとお伝えしたいんです。
「恨む相手がいるから自分達の精神を保っていられる」という方も少なくはないと思います。
勝てなくてもやれるだけのことはやりたい
仕返しをしたい相手が学校や会社など、大きな組織であるほど勝つことは難しいと言われています。
それは分かっていても、何か本人に関することは全部しておきたい。
結果はどうあれ、やれるだけのことはやりたい。
日常を送っていると色々考えてしまい胸が押しつぶされそうになって仕方がないので、忙しくしていたい。時間をつぶしたい。
そうでもしないと気がまぎれない。
本人に対する思いはもちろん、「自分のために」行動する方もいます。
私も連れて行ってほしい
何かショックな出来事が起こった時、ある程度の時間が経てば落ち着いてきたり、人に聞いてもらって解消するということがありますよね。
しかし自死遺族にとっては「時間が解決する」という言葉はあまり当てはまりません。そこは人によりけりです。
苦しすぎるその後の日常
大切なあの人がいなくなった時から少し時間が経っても「落ち着く」「傷が癒える」ということはあまりないと思っています。(これも人によりけりです。)
そのため以前と同じ日常を送れないどころか、ずっとずっと地獄に突き落とされて這い上がることもできないような苦しみを味わい続けます。
そんな毎日からもう解放されたい。あの人に会いたい。一緒にいきたい。あなたがいくなら連れて行ってほしい。
そんな気持ちになる方も多くいるでしょう。
ただ今度は自分がいなくなれば、周りの人がまた自分と同じ思いをしてしまう。それはできない、と踏みとどまる方もたくさんいます。
私の場合、私は元々「いなくなりたい」という気持ちを抱えていました。兄が亡くなってからは、母親にこれ以上悲しい思いはさせられないと思い、実行しませんでした。
こちらの動画では高校生の時に弟さんを亡くされ、「今度は母親を失うのではないか」などその後どんな思いで日常を過ごしていたのかが語られています。
リアルな情景を語られているため、お辛くなるかもしれない方はご注意ください。
ただそばにいたい
話や聞きたいことはほどほどでいい。ただただそばにいたい。あなたの「存在」を確認したい。
そばにいるだけで十分。
言葉はなくてもいい。
そんな気持ちの方もいるでしょう。
手をつないだり、ハグをしたり。ただ触れ合いたいなという方もいます。
一緒に遊びたい
兄弟の立場などでは、子どもの頃に戻って昔のように一緒に遊びたいと思うかもしれません。
私は兄と子どものころ毎日スーパーファミコンなどのゲームをしていました。4歳上の兄だったのでゲームの強さはかなわないけど、負けても私は楽しかったんです。
それから、将棋やオセロなんかも対戦しました。もちろん兄に勝ったことはありません。でもルールや勝つコツなんかは教えてくれて楽しかったですね。
兄との思い出をつづった記事
もう一度対戦して、今度は勝ってみたいです。でも、たぶん負けるんだろうな。
「一緒に遊びたい」他にどんなことがあるのか聞きたいので、思いつく方はコメントしていただければ嬉しいです。
楽しかった時の思い出話
あの時ああだったね、こうだったね。
あんな失敗したけど大笑いしたよね。
あの時すごい怒ってたね、あの場では言えなかったけど面白かったよ(笑)
雑談でも、楽しい話でもしたいな。辛い話はしなくていいし、自分もしたくない。
気持ちの置き所がなんとなくでも見つけられたら、こんなことを思う時がくるかもしれません。
もし楽しい話をすることができたと想像したら、どんなお気持ちになりますか。
私は楽しいし笑えるしホッコリもします。そして同時に寂しい気持ちにもなります。一言では言えない気持ちですね。
何年も前に、私は奥様を亡くされた方のブログを読んでいました。ある日、その方が奥様の誕生日祝いをしたブログを読んだとき、私は涙が止まらなくなったことがあります。
奥様と暮らしていた家で、ケーキを二つ買って、ちゃんとお皿と飲み物も二つ。その写真を見て、もうね、なんだかいたたまれなくて。
なんかもう言葉じゃないんですよ。苦しくて悲しくて寂しくて虚しくて。大好きなんだなぁと感じて。温かい気持ちもあるんです。
「その人の素直な気持ち」がグッと刺さるんですね。
スピリチュアルなものをお願いしてみる
世の中には
「死者とコンタクトがとれる霊能者」
「死者を自分に降ろして(憑依させて)話す事ができるイタコ」
このようなことが出来る能力を持った人がいます。
気を紛らわす程度に活用してもいいかもしれません。
私は霊能者を気になったことはありますが、お願いしたことはありません。おすすめするわけではないのでサービスをお願いする際は自己責任でお願いします。(私はスピリチュアルなことに賛成も非難もしていません。)
いつかお願いする日がくるのかなぁと私は思います。ふと「タイミング」が来るかもしれませんね。
最後に
ここまで読んでいただいた方がいらっしゃれば、本当にありがとうございます。
今回は「自死で亡くなったあの人と、もしも会って話すなら何を話したい?何を聞きたい?」ということについて書きました。
私は、最大の疑問「なぜ・どうして」のところを聞きたい。その一方で、楽しい話をしたり遊びたいです。一緒にビールを飲むのも良いかも。
様々な立場、関係性によって皆さんそれぞれ違うと思います。
この記事を読んで、「自分だけじゃない」「こんな人もいるんだ」などと思っていただけると幸いです。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
コメント