進むほどに重く感じる足かせ。そろそろこれ、なんとかしたい。
今、独立を目指して勉強中の私は、一歩一歩ゆっくりではあるけど前に進んでいる。
前に進めている感覚がしっかりとある。周りの人も応援してくれている。すごくね、心地良い幸せを感じるんです。
でも、時々なにかが足をひっぱる。立ち止まって、落ち込んで、自分のできていないところにばかり目がいってしまう。
何かを始めるときは軽やかにスタートするんだけど、一定のところまでいくととたんに足が重くなる。それを繰り返してるのがいい加減嫌になる。
昔から自分に厳しい私。どんなに周りの人が励ましてくれても、自分だけは自分にOKが出せない。
抱えていたインナーチャイルド的なものは、かなり克服したと思っていた。でも時々出てくる、モヤモヤしたものがまだまだある。
「これ」をもうそろそろやめたい。なんとかして楽になって、リラックスして、自分の力をちゃんと使っていきたい。そしてなにかの役に立ちたい。
自分の知識で解決しようとしてもその場の対処にしかならない。となると堂々巡りなので、これはもう人の手を借りよう!解決するにはその方が早い!と思った。
そこで今、心について学ばせてもらっている佐藤城人先生にカウンセリングをお願いしました。
安全と安心の時間
「どんなことを話しても大丈夫」
そんな雰囲気で安心して話すことができました。
話すことで自分で気づく
話していく中で、だんだん自分が抑えていた「本当のところ」がいくつか見えてきたような気がしました。
その一つは「まだまだ、周りの視線ばかり気にしているところがある」
そんなところに改めて気づけたんですね。
私は「自分がどう見るか、自分がどう思うか」よりも「周りからどう見られているか」にウエイトを置いてたんです。
小さなころからそうでした。
そのせいで、自分らしく振舞えなかったり、常に人の顔色やリアクションをうかがいすぎて日常が苦しくなっていました。
小学生のころは「場面緘黙症」のようになるときもよくありました。フリーズしてしまうんですよね。
昔から持っていたこの部分、今はマシにはなったけどまだまだ顕在してた。
気づいて受けとめると気が楽になる
でも、改めてちゃんと気づけたら、なんだかちょっとストンと腑に落ちた感覚がありました。少し体の力が抜けたような。楽になったんですよ。「そっかぁ~」って。
気づけたら、次はどうするか。体のこわばっていた力が抜けて初めて「周りからどう見られるか」ではなく「自分から見る、自分からとりにいく」これができる気がしてきました。
これ、体の力が入ったまま「自分から見るんだ!自分から、自分から!」って意識してもなんかうまくいかないんですよね。
そのときってたぶん「こうしなければいけない」っていう固定観念のようなものが体を縛ってるんだと思います。「正しいことを正しくしないといけない」みたいな。
言葉で表現するのが難しいところなんだけど、「足をひっぱっているもの」に気づいて腑に落ちて、余計な力が抜けると「自然と」できるようになるというか。自然とそうしたくなるというか。
なんかね、ひとつブレにくくなったような感覚があるんです。建物でいえば基礎ができたという感じ。
この感覚をちゃ~んと感じてあげる。ジワジワと、しみ込ませていくように。
そうしたらなんだかね、自然だ。自然に嬉しくなった。思い込むわけではなく、自然。
気分よく歌を歌えそうだわ(笑)ラララ~~
どこかに埋めてきた大事な気持ち
で、これで終わりではなく。私の大きな課題?に感じているものがもう一つ。
「自分の感情がよく分からない」ということ。
感情はあるんですよ。普通の人間ですからね。感情表現もする。歯医者に行ったら「怖い!!痛いのやだ!!ギャー!!」ってなるし、何かをしてもらったら「嬉しい♪ありがとう♪」ともなる。
でも、な~~~んかこう・・・大きな穴がポカンと体に空いている。空洞がある。自分が自分じゃないというか。う~ん感覚って説明するの難しい。
自分を守るために作ったポーカーフェイス
たぶん、小さなころから親にひどく当たられて育った私。日々親の顔色をうかがって、辛いはずなのに「こんなことはなんてことはない」って顔してた。
特にネガティブな感情を感じないようにしてきたんだと思う。ポーカーフェイスが貼り付いてたような。いつも涼しい顔をしてたと思う。
ネガティブな感情だって、大事なものですよね。自分のもののはず。
でも、感情を冷たーい深ーい土の中に埋めてしまったような気がするんです。きっとその埋められた気持ちくんは「ここにいるよー!出してよー!」と呼んでくれている、そう感じます。
この気持ちくんを自分の中に戻すことができたら、私、かなり楽になるんじゃないかな。「私は私」って、しっかり地に足つけてやっていけるんじゃないかな。
誰に何を言われても、どう思われても、「は~い、これが私なんです。ヨロピクピク~☆」ってできたら。これから何をやるにしても、まずこの「土台」を固めたいと思った。
私の今回の場合は、未来をどんどんイメージしてどんどんやっていきまっしょい!!っていうカウンセリングより、自分の感情をしっかりと感じること、それに付随する過去をもう一度振り返ってみること。
それが必要なのかなと思って、先生に提案しました。
嫌な記憶の過去が変わっていく
先生のリードのもと、ワークをひとつしました。
丁寧に丁寧に確認してもらいながら、小さなころのある日の場面を思い出していく。詳しくはここでは書きませんが、このワークのエピソードの中で私は色々なことに気づけたんです。
私の家族はアルコール依存症を抱えていた父と、かんしゃく持ちの母のもとで育った私。兄と姉と祖母の6人家族。
私は幼い頃から今まで、両親から愛されていると感じたことはそんなにありません。なぜかって。私は両親にからかわれたり、八つ当たりの対象にされたりしていたからです。
毎日が辛すぎたのか、小さなころから「辛い感情」を感じないように感じないように、気持ちを押し込めることがクセになっていた。
小さなころから押し殺していた気持ち
母がブチ切れて手に負えないときは、ただただフリーズしていた。ビクビクしているとそれがまた母の気に触るので、「無」の状態になるしかなかったんです。
ただ、過去を振り返ったとき、私はもう「あのとき親にどうこうしてほしかった」なんて思いはほとんどないんです。
もう恨んでもないし、「毒親だ」って一時期思ってたけど、今は思ってない。良い意味で親に関心がなくなってきたんですよ。
忘れていた温かいものを思い出す
過去を振り返るワークで気づけたものは
「親はどうしようもないし、何も求めてはいない。でも、おばあちゃんのことが大好きだった。ちゃんとおばあちゃんから愛情を受けとっていた。」
「お兄ちゃんといるとすごく楽しかった。」
そんな温かい場面を思い描くことができたんです。
ネガティブな記憶が多かったので、つい楽しかったことや嬉しかったことを忘れていました。
両親から攻撃されて「人は敵なんだ」と思ってしまってたんでしょうね。でも、そんな人ばかりじゃない。世の中に自分の敵はいるかもしれないけど、ほんの一部だよね。
親切にしてもらうことが日常でもたくさんある。素直に頼ったら助けてくれる人もいる。というか、助けてくれる人が多いな。
敵を探すのではなくて、親切を探そう。そう気づくとまた、体の力がゆるんだ気がした。
もう受け身ではなく自分で選べる
さらにワークの中で「自分にとって心地良いと感じる人」「心地良くないと感じる人」これをしっかり分けることができました。
今までは人に求められるままに、無理をしてでも応えてしまうクセがあった私。「人の期待に応えなければいけない」という固定観念を持っていました。
原体験は6歳くらいのころかな、母の期待に応えないと「ご飯抜き」や「数日間母が不機嫌になる」という”罰”があったから。
罰が嫌だったから、親が「かわいい」と思うリアクションをとったり、親を褒めたりしていた。自分の意志ではなかった。
今はもう、自分で何でも選べばいいし、人をわざと傷つけない限り自由にふるまえばいい。「させられている」ではなく「自分がそうしたいからそうする」。
自分の好き嫌いを自分で見分けられる
それから人との境界線があいまいな部分がありました。自分と人の境界線という意味もあるし、なんというか、本当は嫌いなはずの人を好きだと思い込もうとしたりとか。色んな部分であいまいだった。
でも、そのごちゃごちゃになっていた日々関わりのある人たちを、ワークの中でちゃ~んと、「自分にとって心地良いかどうか」と分けることができた。
これからの日常生活でも、人に言われるがままではなく、自分から分けることができる気がする。
過去を振り返っていたようで「とらわれていた」だけだった
もう一つの大きな気づきは、「過去のことをさんざん考えた」と思い込んでいたものが「過去にとらわれていた」と気づいたこと。
私は今までに過去を何度も振り返って、自分でインナーチャイルドを克服していっていたつもりだったんです。でも、きちん自分の頭で考えられてはなかった。ただただ流れてくる記憶を、だらだらと見ていただけだったんだ。何回も繰り返し。
過去に対して受け身でいたんですね。だからいつまでたっても未完了のままだったんだ。
カウンセリングは筋トレみたい
1回のカウンセリングで色々と気づけた。そのおかげで気分的にはかなりスッキリしてます。
「やったぜー!!」ってテンションではなく、しっかり筋トレをして遅効性の効果を味わってるっていう感覚ですね。
付け焼き刃ではなくて、確実に力になってる感じがする。静かにガッツポーズするような。誰も見てはいない変化だからこそ、なんか嬉しい。
まだ残ってる未完了のものはまた次回に
また別の話で、私の兄は2011年に自死で亡くなっています。そのときの私の感情は何もなかったんです。「悲しい」でもない「寂しい」でもない。倫理的にアレかもしれないけど「驚き」もなかった。
躁うつ病で未遂をしたことがある兄だから、亡くなったと聞いて「そうだよな」って思ったんです。大きい声じゃ言えないけれど。
とにかく、兄のことよりも「母を支えなくちゃ」ってことで頭がいっぱいでした。
自分の気持ちはマヒさせていましたね。
今回はこのあたりで時間になったので、また次回にすることにしました。
この際だから、洗いざらいキレイにしたいって思った。
最後に
今回はカウンセリングを受けて本当によかったなぁって思う。
気づけたこと
- まだまだ周りの視線を気にしていたこと
- ネガティブな感情もしっかりと味わうこと
- 周りの人は敵ばかりではなく、親切な人が多いこと
- その親切を素直に受け取ればいいこと
- 受け身ではなく、自分で選んで良いということ
- 選ぶために自分で見分けができること
- 過去を振り返って考えているようで、とらわれていたということ(受け身だった)
こんなたくさんのことに気づけた。
忘れないように記録しておこうって思い、こうしてブログに書いてみました。そしてまた誰かの役に立てばいいなとも思います。
佐藤先生のおかげで、かなり肩の荷を下ろせた感じがしてます。本当にありがとうございます。
もしここまで読んでくださった方がいれば、ありがとうございます。
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