自殺ではなく自死と呼ぶのはなぜ?違いは?浸透しているようでしていない?

こんにちは。

自殺」と「自死」、どっちも見聞きするけど一体どっちを使えばいいの?どっちが正しいの?と思ったことはありますか?

今回は「自殺」と「自死」の言い方や表記について考えていきます。

私の個人的な意見が多いため、参考程度にしていただけたらと思います。

目次

「自殺」はキツイ、「自死」のほうがやわらかい

私は兄を自死で亡くしています。自死遺族の立場からの意見も書いていきます。

こちらは兄が亡くなった当時の記事です。

「自殺」と「自死」

違いを一言でいうと、ニュアンスや雰囲気の違いで、感覚的なことだと私は考えます。

よく言われていることは「殺」という言葉、字面のインパクトが強いから、せめて少しでもやわらかい「死」という表現の方が良いとされています。(せめて、です。)

感覚的なものなので「人によって違う」ということになり、はっきりしません。

ただ、調べていくうちに「自死」という表現はは自死遺族への配慮なのだと感じることが多いです。

Twitter(現X)を見ていると、違いについて考えるツイートをちらほら見ました。

「自殺」と「自死」どちらも入っているポストもたくさんありました。

始まりは自死遺族の立場から

自死遺族の立場から、言い換えの取り組みが始まったとされています。

こちらは日本経済新聞の記事です。2014年の記事なので「昨年」は2013年のことですね。

言い換えの先駆けとなったのは島根県。昨年3月、遺族団体からの要望を受け、自殺対策総合計画を「自死対策総合計画」と変更するほか、公文書などで「自殺」を使わず、「自死」と表記することを決めた。鳥取県も昨年7月に同様の変更を決めた。

引用 「自殺」→「自死」言い換え相次ぐ 自治体、遺族感情に配慮

こちらは全国自死遺族総合支援センターのホームページから。

2013年3月に島根県が県の「自殺対策総合計画」における表現をすべて「自死」に統一しました。

引用 「自死・自殺の表現に関するガイドライン」~言い換えではなく使い分けを~

「自死問題」に近い人と遠い人①

私の感覚では自死遺族でもそうではない人もあまり関係なく、支援に携わる人や自死遺族の分かち合いの会に参加をしたりだとか、何かしらの交流のある人が「自死」と使うことを意識している傾向があると感じています。

「全ての」や「絶対」ではない

自死遺族の方でも「自殺」と言葉として使う人もいます。それは「自死か自殺か」という選択肢を知らないだけかなと私は思います。もしくは単純に言葉へのこだわりがないとかですね。

なので全ての自死遺族が「自死と表記してほしい」と言っているわけではないし、支援者が配慮して「自死」と使っていてもあまり気にしていない遺族の方もいます。

「別にどっちでもいい」と言われていた遺族の方もいるくらいです。

関係のない人には浸透していない

自死遺族でもなく、何も関係のない人に「自死」という言葉を使うと「え?」と聞き返されることが私は多いです。そのくらいまだ一般的には浸透していないと感じます。
一般的に認知してもらうには、テレビや雑誌やネットニュースなどのメディアで「自死」を使っていかないと難しいと感じます。

意味は同じ?

どちらも「自ら自己の命を絶つ行為」。どちらも名詞で「自死する」「自殺する」という使い方です。

言い換えはできる?

全ての言葉で言い換えができるかというと、違和感のある言葉もあれば、聞き慣れないけど間違っているとは感じないものもあると思いました。

  • 「自殺⇔他殺」「自死⇔他死」 他死とは言いませんよね。
  • 「自殺行為」「自死行為」   これも違和感がありますが、無理ではなさそう。
  • 「自殺防止」「自死防止」   慣れの問題な気がする。

個人的には慣れの問題かなと思っています。

使い分ける必要はある?

特に支援の立場から「全てを言い換えるのではなく、使い分けを」という意見があるようです。

個人的には意味が同じなら「自死」で統一で良いのでは?と思ってはいます。

「自死」じゃないときついと思う人を優先した方が良い

「日本語の正しさ」「文脈の適切さ」よりも大事なものがあると私は考えます

私自身は「自死」が当たり前になっているので慣れるものだと思っています。
慣れた分ネットニュースなどでいきなり「自殺」と出てきたらちょっとドキッとします。


決めているわけではありませんが、ネットニュースなどのタイトルが「自殺」の時はその記事を読みません。「自死」の時はその時の気分にもよりますが「読もうかな」と思ってタップします。

自死問題に近い人と遠い人②

「自死」で統一したら良いのでは?と言いつつも、私はその場その場に応じて使い分けています。使い分けてしまっているってニュアンスが近いな。

言葉そのものより内容が重要

「自死」って?とちんぷんかんぷんなくらいの人には、私はあえて「自殺」と言う時もあります。

それは「自死」という言葉を知らない人に対してです。

私の場合は日常会話の中で「兄弟いる?」と聞かれて「兄がいたけど自死で亡くなったよ。」と言ってしまう時です。すると大抵「え?」と聞き返されます。「あ、自殺ね。」と言い直すと伝わります。

(兄が亡くなったことを正直に言う時と言わない時がありますが、はっきりと決めているわけではなくてその時の相手とか私の気分です・・。)

聞き返されるのが面倒くさいなと思ったら最初から自殺でと言う時もあります。

そこで詳しく聞きたいと言う人には、話の中で徐々に「自殺」を「自死」に変えていっています。
その時に言葉についての説明はせずにさりげなく話しています(話しているつもりです)。

誰に向けるかによる

Youtubeで検索をしてざっと見ていると

一般的に広い範囲に向けている専門チャンネルやニュースチャンネルなどは「自殺」が使われている傾向です。

こちらは精神科医の樺沢紫苑先生が、悩み相談に答えるチャンネルです。

 

こちらはアベマTVのニュース番組「アベプラ」という、割とニッチなテーマも多い、ゲストが意見を交わすチャンネルですね。Youtubeでは途中まで公開されています。

あえて「自殺」と表記するのか「自死」をご存じないのかは分かりません。

 

こちらは自死遺族の立場でありNPO法人で活動されている方の動画です。

 

こちらも自死遺族の立場のかたのチャンネルです。冒頭で少し「自殺」と「自死」について触れられています。

動画は他にもあります。個人的には自死と表記されているのは自死遺族の方へ配慮されているように感じます。

自死遺族の声

私が聞いたり感じたりした、狭い範囲のことなので統計をとったりデータがあるわけではないのですが、結局は人により様々だと思います。
何度も言いますが感覚的なものなので、感じ方は遺族の中でもそれぞれです。

もしかしたらちゃんと理由を持っている人もいるかもしれませんね。

こだわるところの違い

遺族の方の中でも「どっちでもいい」という人が実際にいます。

  • こだわるところ、大事なところはそこじゃない
  • 議論とか疲れるからいい

というような理由です。

反対に「絶対に「自死」にしてほしい」と強く言われる方も。

  • 町の大きな「自殺防止月間」の垂れ幕に傷つく
  • テレビの「自殺」という報道がキツイ

文字を見るだけで動機がしたり、体調が悪くなる人もいるのも事実。私も「自死」に慣れていると大きく「自殺」の文字を見ると一瞬ドキッとすることがあります。

最後に

感覚の違いはもちろん人それぞれにありますよね。

私の意見は、特に「自殺」と表記しなければならない理由がないのなら「自死」と表記するのが良いのではと思います。

ぶっちゃけていうと日本語の正しさとかどうでも良いと思っています。日本語を楽しむ場合は別ですよ。

不便ではないのなら、困る人が減る方が優先かなと考えます。ルールよりも人間の方を大事にしたいかなぁ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

本紹介

大切な人を自死で亡くされた方々の思いを集めた一冊。

色々な立場の人が、それぞれの気持ちを綴られています。

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