ちゃんと燃え尽きてから死にたいと思ってしまう私へ

今の自分の本音を語ります。

といっても、言葉にするのがものすごく難しい感覚です。
ここで語る言葉が合っているのかも、分からないです。

でも、今のところの言葉にしてみようと思う。

目次

行動はできるのに気持ちが重たい

私は行動力だけはある。

転職して、会社員をしながら開業して、
それなりに結果も出て、信頼も積み上げてきた。

誰がどう見ても、まぁまぁ順調だといえると思う。

ビビりなおかげで大きな失敗も今のところない



ただ、私はもともと、自己評価がとても低い。
だから、周りの人にいちいち聞いている。

「私、大丈夫かな?」「変な方向行ってない?」みたいに、確認してる。

いちいち確認しないと落ち着かないヘタレだし、
自信はそんなにないけど、今は自信がないまま行動してる。

でもそれだけ、影の努力もしてきた。
そこは自己評価が低い私でも、誇っていいと思えてきてる。

でも最近、なんだかひどく疲れてる。

この疲れ、日々の身体の疲れみたいなものだけではないなぁと感じる。

ずーーーーーっと前からの蓄積みたいな

心理的なセッションをすることはとても好きだし、身体の施術も好きだし、本気で相談者さんに集中する。
相談者さんが自分で色々なことに気づいていく、その姿にすごく感動する。

こういう活動を、決して自己犠牲でやっているのではない。
「私がやりたいこと!!」というよりも、役に立てているという実感もある。


で、身体は爆速で進みたがってる(と思ってる)。


でも、なんだろうなぁ。
心が追いついていない感じというのかなぁ。

身体と精神のスピード感が、全然一致してない感じというか・・・。

そこまで分かってるのにねぇ。止まれない。

ときどき、わけもなく大泣きする。ひとりで。
ドラマを見ていたら、ある場面を見たときに、急に堰を切ったように泣きじゃくる。

この突然の爆発みたいな感情は、浄化のための涙なのかなとも思う。
だから一瞬はスッキリする気もするけど、でも一瞬だけ。
また少し時間が経てば、ずーんと重たい感じになる。


「うーん、これはマズイかなぁ」

止まれ!ってサインなのかなぁ


でも、別に動くのが苦なわけではないし、発信が苦痛になっているわけでも全然ない。
発信は習慣になってるし、仕事も普通にできている。

職場の人とコミュニケーションも普通にとれているし、家事もできている。
普通に生きている。

なのに、なんか重たい。

一体なんなんだろう??
ここ1カ月くらい、ずっとこんなスッキリしない感じが続いてる。

自分を使い切って早く死にたい


で、ここまで色々考えて、
2日前くらいに、ふと湧いてきた。

「私、早く死にたい」

これ、誤解しないでほしい。

自死(自殺)をしたいとか、今すぐに姿を消したいわけではない。

そういうことじゃないんよ

ちゃんと何かの役に立って、誰かを幸せにして、
命の電池を使い切って、
命のろうそくを溶かしきって、

死にたい。

それを、すごく速くしたい。

別に「なんかすごい人」になりたいわけではない。
有名になりたいとかでもない。

別に影響力とか、なくていい

自分を使い切って、早く死にたい。

これが今の行動の動機なのかもしれない。

この動機がネガティブなのかポジティブなのかは一旦ここではジャッジしないでほしい。

でないと、本音が引っ込んでしまうから。

綺麗で耳ざわりの良いことばかりを書きたいわけでは全然ない。
ただただリアルな人間であることを書いておきたい。

死を意識するのは自然なことなのかも

私は、近しい人の死、しかも自死を何人か経験した。

兄、伯母、いとこ、祖父。

祖父は私が生まれる1ヵ月前に死んだ。だから会ったことないんだけどね。

ある人は首を吊ったり、ある人は練炭を焚いたり。

兄は山の奥のほうで10日間ほど何も食べずに、最期は川に顔が浸かって死んだと聞いてる。

自死って、途中で死ぬ。途中でやめる。

周りの人の「なぜ?」が終わらない死なんだよ。

去年、祖母が老衰で亡くなった。

やっと“普通の死”に触れたと感じた。悲しくはなかった。

おばあちゃんが死んでから、2ヵ月と少し経つ今。最近ようやく
「おばあちゃん、もういないんだな・・・」と
実感できるようになった。

さみしい。おばあちゃんが好きだった。

だから、おばあちゃんががんばって最後まで生きてくれて、嬉しかった。

なにかに怖がってる

私が触れてきた不自然な死と、私が早く死にたいと思っていることが
関係あるのかは分からない。

でも、私の頭の中では、
何かの判断基準が「生きるか死ぬか」の両極端になってる。

といっても怖いから死なないけどね

途中で終わることが怖いのか。

突然いなくなることが怖いのか。

だって、突然いなくなったあとの世界を体験してしまったからなぁ。

その衝撃を、まともに受け止めることができずに
ずっとずっと気持ちを埋めてきたと思う。

反動みたいに元気そうに生きてきたと思う。

それも、仕方のないことだね。


だからせめて、まだ結論とかは出ないけど、
燃え切ってから終わりたい。

かっこつけたいとかではないよ。

でも、その生き急ぐことは、その代償に今を味わうことを忘れる。

本当は、死ぬことは怖い。

忘れられるのも怖い。

でも、生きることにも疲れてる。

ネガティブに沈みたいときなのかも

わかってほしい 助けてほしい

心の奥の奥の奥にいる自分は
ものすごく孤独で

なんにもない淋しくて冷たい場所に
ひとりで横たわってるイメージがある。

無機質な場所に、無気力でいる。

でも、自分でそこに引きこもってるふしもある。

たぶんこれ、誰かに分かってほしかった孤独だと思う。


強い部分の私ではなくて、頑張れる私ではなくて、

ただの私で、誰かに近くにいてほしかった。

でも、こんなややこしい話、誰にもできないし。

本当は、助けてほしい。
甘えたい。無条件に。

似たような感覚でいるあなたへ

この記事を読んでいるあなたが今、

「ちゃんと燃え尽きてから死にたい」

そう思っているなら、それは命を粗末にしたいからじゃないよね。

ひとつ思うことがあって、

燃え尽きなくても、
命は意味を持っているんじゃないかと思う。


人にはこうやって言えるんだよね。

役に立たない日も、
止まっている日も、
誰の特別じゃない日も、

灯りは消えないと。

命って、本来そうだよね。

こうして、勇気を出して言葉にしていくと

ちょっと休もうかなって思えてきた(笑)

でも結局、止まらないんだけども。

生きるか死ぬか、死にたいって思ったときに
「生きる方を選んできた」
なんて力強くやってきたわけでは全然ない。

なんとなく死ななかっただけ。

まぁ、答えを出さなくてもいいや。

今はこんな感じで存在しています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

休養学: あなたを疲れから救う

●疲れたらコーヒーを飲む ●疲れたときは寝るのが一番 ●甘いもので自分にごほうび ……こんなこと、していませんか? 実は疲労を取るには全部「×」な方法です。 「いつも体が重い」 「寝ても寝てもだるく、疲れがとれない」 「会社に行くだけでヘトヘトになる」 「休みの日に何をしていいかわからない。結局、一日じゅうゴロゴロしている」 …

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