この「こじらせ節気」シリーズは、
「どうせ分かってもらえない」と言いたいことを飲み込んでいくうちに、自分の気持ちまで分からなくなった。感情の向かう先はリストカットをするしかなかった。
そんな超内向的でメンヘラだった私が、その黒歴史も含めて自分を許してあげるための記事です。
こじらせ節気①はこちら


私個人の体験談や思いです
暗い世界を選んでいた
いわゆるメンヘラだった私。
明るい世界と暗い世界があるとしたら、まぁ暗い世界の住人だった。
それでも私は、行こうと思えばいつでもすぐに、明るい世界へ行けたはずだった。



生まれてから35年間くらいメンヘラだったよ
それなのに、わざわざ暗い世界を選んでいた。
そこは、
どうせ愛されない
どうせ裏切られる
どうせ嫌われる
どうせ分かってもらえない
バカにされる
誰も信用できない
そんな概念でできた世界観。
そこで生きている限り、何をしても「愛されない証明」になり
「嫌われる証明」になってしまう場所。
例えば、誰かから「優しいね、ありがとう」って言ってもらえたとき。
「私を利用しようとしている?」「それくらい自分でやってよ」と受け取ってしまってた。



いつも人の言葉の裏を読んで、嫌味だと受け取ってた



さらに、「こんな自分かわいくないよね」と自分を責めてた
明るい方の世界観なら、褒めてもらったら「どういたしまして♪」「お役に立ててうれしい♪」と言って終わる話。そのあとも、ご機嫌でいればいい。
「すみません」と言うか「ありがとう」と言うか、くらいの差。
今なら、「そこ(嫌味と捉えるほう)から抜け出せなかったのは自分の選択だった」と言えるけれど、
当時の私がそれを聞いたら、きっと深く傷ついてたか、怒ってたでしょう。
自分が全否定された!と思い込んでたでしょう。
「こうなったのは全部自分のせい」「私が全部悪い」
こうしてまた自分を傷つける材料になってしまう。
こんなかわいくない私になったのは、アル中の父親のせい。うつの母親のせい。
私がこの暗い世界に落とされたのは、親のせいなのに。
と、こう信じていたから。
心地よさを感じていた暗い世界
自分も人も傷つけて、かわいそうな自分でいられる世界は、
その、すぐに行ける明るい世界を、わざわざ選ばないくらいの、心地良さやメリットがあった。



今思えばね
なぜなら私は、
明るい世界を、
鈍感で
ガサツで
浅くて
動物的で
人の気持ちが分からない人たちの集まりのような
ちょっとバカみたいな場所だと思っていたから。
たとえば、やたら明るくて、
「なんとかなるよ〜」が口癖の人を見ると、心の中でこう思っていた。
この人、何も考えてないんだろうな。
苦労したことないんだろうな。
そう思うことで、
自分は“わかっている側”に立てた気がしていた。



唯一持っていたの脆い自尊心
落ち込んでいる私に「大丈夫?」と声をかけられたとき、
心配されているんだけど、なんか少しだけ誇らしい気分になれていた。
やっぱり私は、普通じゃないところを生きてる。
ここに酔っていた自分もいた。



今書いててちょっと恥ずかしい
その視線が、同情なのか尊敬なのか、
区別はついていなかったけれど、
とにかく「何者かになれた気」がしてた。
暗い世界にいるほうが、深い人間みたいで、
苦労してきた人みたいで。
そして、人を黙らせることができた。
「あなたには分からないでしょ」という空気をまとえる場所だった。



一目置かれている感
今思えばそれは空虚な同情であり、
尊敬の目を向けられている、というのは私の都合の良い勘違いだった。
どうして分かるのかというと、現実に人間関係が深まってないから。
でも当時の私には、それが(それだけが)確かなメリットだった。
暗い世界にいる必要がなくなった
メンヘラでいることは、弱さではなくて、立ち位置だったと思う。
向き合うにはまだ重すぎる現実から、
一時的に距離を取るための、私なりの生存戦略。
だから私は、無意識に暗い世界を選び続けていた。



だから責めなくていいんだよ
今はもう、その世界にいなくても大丈夫になった。
明るい世界を見下す必要もなくなったし、むしろ楽しんでいる。
だから、暗い世界にしがみつく理由もなくなった。
過去も暗い世界も必要だった
明るい方へ行く過程で、今度は「暗い世界を見下したり認めないフェーズ」がある。
それは、人がいつまでも行動せずに悩んでいたり、自滅的なことばかり言っていたり。
人のプライドの高さを感じたり、強がっている人が滑稽に見えたり。



全部、過去の自分がしていたことなんだよな~
生きづらさから生きやすさへのプロセスの中で、今度は過去の自分を葬りたい気持ちになる。
同時に、過去に自分がやっていたことを、今やってる人に出会うと、モヤっとする。
これは、過去の自分をまだ許せてなかったり、認めてなかったから。



メンヘラだった自分を恥ずかしいと思ってた
でも、あのときのたくさんの失敗や、恥ずかしい経験、やるせなさは、今ここに来るために必要だった。
あの節気は、確かに必要だった。
でも、永住する場所ではなかった。
明るくて深い世界へ
今、恥ずかしくて消してしまいたい過去も、恥ずかしいなぁと思いながらも見れるようになったよ。
自分がそんな状態になれると、人がこじらせていても「あっ、なんか出てきてるね~」くらいに扱えるようになってきた。
それは軽んじてるんじゃなくて、誰だって明るい世界に行けると信じているから。
だからこそ、堂々と発信できるし、生きづらさを持っている人や繊細な人の気持ちが解り、そして明るい世界も見せることができる。
メンヘラでこじらせていた自分も、まるっと愛で包み込んであげると、
まぁ~~~安心に包まれる。
そして、安心したまま明るくて深い世界に行ける。
安心、心地良さ、幸せを感じられる。
そこに行くのは、少しの勇気を持っていくだけだと、今思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。









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