納棺師から見た自死。自死遺族として関われるようで関われないジレンマ。

こんにちは。

私は約3年間、納棺師という仕事をしていました。

亡くなられた方のお身体を清め、ご家族の希望の衣装にお着替えをし、詰め物の処置、化粧をし、棺にお休みいただく。

このようなお仕事です。

納棺師として出会う「死」はいろいろな死がありました。その中で自死で亡くなられた方を清めたことも何度かあります。

私は兄を自死で亡くした自死遺族です。自死遺族として、納棺師として、どんな気持ちで仕事をしていたのか、など書いていきたいと思います。

あくまで私の個人的な思いです。

目次

「どうしようもできない」時間

納棺師として入らせていただくタイミングは、葬儀社にご移動されてから、お通夜までの間です。(地域によって違いがあるかもしれません)

亡くなられてから、お葬式というお別れのための儀式までの時間。

自死は本当に急に起こることなので、そのお別れの時間までがとても短いです。

気持ちの整理なんてその短い時間でできるはずがありません。

そんなときに納棺師はお身体をきれいにさせていただきます。お着替えやお手当、化粧の加減の確認など、できる限りご家族の希望の沿うようにします。

外傷などがある場合、希望通りにできないこともあります。そういったやりとりもその場で、ご家族と話しながら進めていきます。

「どうして死んだんだと思いますか?」と私は現場で嘆きながら聞かれたことがあります。たぶん、そのとき亡くなられた方が若く、こちらと同年代だと思われたのかなと私は感じました。

ご家族の立場になると、亡くなられてからは「わけが分からないまま事が進んでいる」という状態の渦中です。気が動転していても全くおかしくありません。頭ではやるべきことを分かっていても、心がついていかない状態です。

「そんな状態のときに聞いた言葉の、何が刃になるか分からない」私はそう考えています。なのでうかつに励ましたりしないように気をつけていました。

自死遺族としての出番は無い

もしも良かれと思ってご家族に「私も自死遺族です」と言ったとして、受け入れられるかは分かりません。むしろ、その渦中にいるときは受け入れられない可能性のほうが高いと想像できます。

反対の立場だったら、と考えてみると返事に困りそうな気がします。(あくまで私は、です)

スタッフが気をつかわれる存在になるなんて、変ですもんね。

なので私は納棺師としての仕事をしながら、内心は自死遺族としてできることは無いと感じていました。

自死で亡くなった方を目の前にしたときは「自死遺族として役に立てない」ということが当時の私の心に重くのしかかりました。

仕事をまっとうすることが最優先

当たり前なんですが、納棺師として仕事をすることが最優先です。

リアルな話、「仕事」なので1件に費やす時間も限られています。

いかに時間を無駄にすることなく、急いでいるという感じをご家族に悟られないかがけっこう大事なんです。

さらに、私たち「納棺師と亡くなられた方だけになる時間をどれだけ短縮できるか」を意識していました。

もちろん、きちんとお着替えやお手当、お化粧を整える上で、です。

先ほども書きましたが、亡くなられてから、お葬式までの時間がとても短いんです。

家族や大切なひとだけで過ごす時間を増やしたい

お葬式は、ただでさえ担当者や参列者とのやりとりや事務的なこと、買い物や自分たちの準備など「やること」がたくさんありますよね。

それこそ何度も経験するものでもないので、慣れることもあまりないですよね。

「やること」がたくさんある中で家族や大切なひとはいつ亡くなられた方に向き合い、心の整理ができるんでしょうか?

私はそう思っているので、「身体がある時間」を少しでも長く過ごしてほしいと強く思っています。

そういう理由で「納棺師が入る時間」を短くすることが大事だと考えます。

自死遺族の方の経験談として聞く「納棺師」

納棺師は、ご家族に感謝していただくことがとても多いです。「きれいにしてくれてありがとう」と涙ながらに言ってくださるんですね。

私も喜んでもらえると、とても嬉しい気持ちになっていました。

でも、自死で亡くなられた場合は、周りの人に感謝できる心境ではないですよね。

もちろんそんなときに感謝の言葉がほしいわけではありません。

私はまわりまわって全く別のところで「そこに納棺師さんがいたこと」を聞くことがあります。

私が自死遺族の分かち合いなどで納棺師をしていたことを話したとき、他の方から「納棺師にお世話になった」という話を何度か聞きました。

「あの子が着たかった服を丁寧に着せてくれた」「傷を目立たなくしてくれた」「すごく物腰が柔らかくて良い人だった」

そんな言葉を聞きました。私はそんな話を聞くと、心にポッと明かりが灯ります。

「そういえば・・・」ぐらいが嬉しい

お葬式の場では余裕がなくて(当たり前です)、ありがとうと言えなかったとしても

時間が経ったときにふと思い出すことってたくさんありますよね。

納棺師に限らず、葬儀社の担当の人、スタッフ、司会の人・・・「仕事」として関わる人の中でも「仕事」だけじゃない人って分かる気がしませんか?

それはちょっとした心づかいで、見逃してしまうくらい小さなことでもあります。

「そういえば、すごく良くしてくれた」

こんなニュアンスでどこかの納棺師の話を聞くと、私は嬉しくなります。どうしてかというと、「私がした仕事も、ちゃんと役に立った」と思えるからです。

反対に「ものすごく覚えている」ことはマイナスの印象なことが多いですよね。なので普段は忘れているくらいが良いなと思います。

現場では自死遺族として関われなくても、納棺師として関わったこと。それが全く別の話として聞いたとき、不思議と報われた気持ちになるんです。

私は納棺師を辞めましたが、全国の納棺師さんを応援する気持ちでいます。とくに「心ある納棺師さん」。

私が今までした仕事の中で、大変なこともありましたが好きな仕事でした。

最後に、私は兄の遺体を見ていません。兄が亡くなって帰ってきたとき「お骨」になっていたからです。

なのでなおさら、身体があるときの時間を大切にしてほしいのかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

本紹介

大切な人を自死で亡くされた方々の思いを集めた一冊。

色々な立場の人が、それぞれの気持ちを綴られています。

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